『シンセミア』

シンセミア〈4〉 (朝日文庫)

シンセミア〈4〉 (朝日文庫)

シンセミア〈3〉 (朝日文庫)

シンセミア〈3〉 (朝日文庫)

■読了文献。188−189冊目。阿部和重シンセミア』3−4巻。20世紀最後の夏、東北の田舎町「東根市神町」で発生した「自殺・事故死・行方不明」事件。それらを皮切りに「神の町」とその民に降りかかるさまざまな災厄や怨念や陰謀や暴力が複数の視点――登場人物は何と60名以上(!)――から、執拗かつ周到に描かれる。物語の舞台装置「神町」のモデルである実在の神町とは、陸上自衛隊第六師団の駐屯地の位置する町。かつて終戦直後は、米軍のキャンプ地が存在した町だ。占領下の神町では、米兵相手の売春などが横行し、過度の風紀紊乱が見られたという。「パンパンの町」、それが当時の町の姿だった。そんな時代にあって、米軍の存在を後ろ盾に町の権力を掌握するにいたったのが、町で唯一のパン屋・田宮家である。物語は、戦後から現在にいたる田宮家の興隆/没落の過程を縦軸、親子それぞれのライバルたちとの抗争の過程を横軸に進んでいく。その意味で、物語の深層にあるのは「神町」そのもの、「神町の歴史」そのものであると言えるだろう――もちろん「神町」とは「戦後日本」の隠喩である。本書においてとりわけ印象的なのが、著者の「まなざし」の過剰さだ。言い換えればそれは、隠されたものを探り当て、覗き見し、暴き出し、白日の下に曝け出すことへの執拗なこだわりとでも言えるもの。そうした過剰なエクリチュールがはらむ暴力性は、作中の登場人物たちが「盗撮」や「監視」や「情報管理」によってミクロな権力を獲得し構築していく過程の暴力性と奇妙にシンクロする。物語が一巡するごとに暴き出される、登場人物たちの新たな「陰部」。そして気がつけば、そうした物語の力に感応して、さらなる「陰部」を求めて「観ること」へと過剰に動機づけられてしまっている自分がいる。こうして、私たちはふいに気づかされることになる。自らの内部に深く沈潜する暗い情念や暴力性に。つくづく思う、これは危険な物語だ。