『日中戦争下の日本』

日中戦争下の日本 (講談社選書メチエ)

日中戦争下の日本 (講談社選書メチエ)

■読了文献。155冊目。井上寿一日中戦争下の日本』。一九三七年七月七日、北京郊外で起きた日中両軍の偶発的な軍事衝突、いわゆる盧溝橋事件。四日後には停戦協定が結ばれ、ほどなく和平が訪れるかと思われたが、双方の思惑のズレから戦争状態が定着、事件は「北支事変」から「支那事変」へと拡大していく。その後一五年も続くことになる日中戦争だが、発端はそうした偶発性や思惑はずれにあったという。では、目的も大義もあやふやなままで戦場に送られた兵士たち、そして彼らを送り出した銃後の社会は、この戦争に何を見、何を求め、そこから何を創り出したのだろうか。本書は、この「目的なき戦争」が当時の日本社会にもたらしたものが何であるのかを、右や左といったイデオロギーのまなざしを廃し、史料に即して丁寧に解き明かしていく、総力戦体制下の社会=政治史である。日中戦争の兵士たちは、大陸で農村の貧困や民衆の純朴さに遭遇する。そこには、祖国が喪失した――ゆえに取り戻すべき――美風が存在した。現に帰還兵たちが内地で見たものは、戦争景気が生んだ消費社会の退廃であった。緊張する前線と弛緩した銃後。かくして戦地の緊張を内地に持ち込む「戦場からの国家=文化改造」が目論まれるようになる。一方で、戦争景気は、農民や労働者、女性たちに政治的、経済的、社会的地位の上昇を体験させた。それまで疎外されてきた人びとは、戦争による社会の平準化をチャンスと見なし、積極的に戦争に協力し、国民精神総動員運動を自発的に支えていくようになる。中国という他者を真摯に理解しようとした兵士たちと、戦争に自発的に協力する労働者や農民、女性たち。「東亜新秩序」も「大政翼賛会」も、両者の交わりから産み落とされたものだ。ここには、私たちの慣れ親しんだステレオタイプとはずいぶん異なる、兵士や労働者、農民、女性たちの像がある。まずは先入観を脇におき、私たちの知らない日中戦争下の日本の姿を覗いてみよう。