「当事者」意識のそだてかた。

■今月より「金曜ゼミ:アナタの知らないシャカイ」企画が本格的に始まった(平成20年度山形県NPO活動促進助成金を受け実施)。これは、毎週金曜18:30より、山形市江南公民館にて、市民(とりわけ若い世代)主体の自主ゼミを開催するというもので、社会のさまざまな現場や問題に関連する作品を参加者それぞれが持ち寄り、話題提供された題材をもとにディスカッションを行い、不透明化する現代社会についての理解を深めていこうというものである。
助成金の公開プレゼンでは審査委員の方より「敷居が高くないか、本当に参加者は集まるのか」などの懸念の声も頂いていたのだが、蓋を開けてみると、毎回10名ほどの参加者が集い、熱心な議論が交わされた。扱われたテーマは、ケータイ小説性風俗産業、学校裏サイト天皇制、精神病、プレカリアート運動、モテ/非モテエスニック文化、児童ポルノ法、ヤンキー文化、ネオリベラリズムなど、どれも現代社会の特質に光を当ててくれるようなものばかりだ。
■こうして並べられた単語たちを見ると、「ずいぶんと小難しいことをあれこれ扱っているんだな。自分には興味も関係もない内容だ」的に引いてしまう人もいるかと思う。だが待ってほしい。わたしたちのゼミでは、これらを単なる知識自慢やうんちく競争として行っているわけではない。扱われた問題のすべてを、自分が属する社会が抱える課題、つまりは何らかのかたちで自分につながる何かと捉え、そうした前提のもとで学びを組み立てていくよう心がけている。
■提示された問題を、自分に関係する何かとして理解すること。換言するとそれは「当事者として考える」ということである。「社会の構成員の一人」としての「当事者」意識。よくよく考えてみれば、そういった意識に積極的に照準し、それを育んでくれるような場や機会は、わたしたちの周りにはほとんどない。学校教育しかり、社会教育しかり。教師の側から一方的にたれ流された情報を、ただひたすら誤配なく受信するだけ。どうしてそこに「当事者」がうまれようか。
■「金曜ゼミ」は違う。そこでは、報告者の使う言葉一字一句に対し、「それってどういう意味?」などと突っ込みが入る。すると報告者は、周囲の助けも借りつつ、質問者が理解できるまでその言葉や概念を噛み砕いて説明する。これはいわば、「無関連にしか思えなかった問題」を「自分とも関係のある何か」に変換する作業であり、社会的排除下の人びとを社会に繋ぎ直す社会的包摂の過程でもある。この新しい学びの場を、ぜひあなたも体感してみてほしい。*1

*1:『ぷらっとほーむ通信』065号(2008年9月)