『「街的」ということ』

■読了文献。35冊目。江弘毅『「街的」ということ:お好み焼き屋は街の学校だ』。「情報誌」に関する分析、とりわけ「タウン情報誌がなぜあんなに面白くないのか」についての分析がとても面白い。主語のない文章は単なる「データ」「情報」に過ぎないわけで、一見して「わかりやすく」見えるそれらによっては、実は何も伝えることができない。出身地や居住地の如何にかかわらず、ある人が「いなかもの」であるといった場合、それはその人の「わかりにくいこと」への絶望的なまでの耐性のなさをもってそういうのだと著者は言う。この「いなかもの」をめぐる議論は「東京」のような都会の人びとがその実いかに「いなかもの」であるかという逆説的な事態の指摘でもってオチをつけられているのだが、そのように考えるなら、その「東京的なるもの」を無邪気に志向する地方にいたっては、さらにもって救いようがないことになる。