『家族の痕跡』

家族の痕跡―いちばん最後に残るもの

家族の痕跡―いちばん最後に残るもの

■読んだ本。84冊目。久しぶりの斎藤環。『家族の痕跡』。「ひきこもり」や「ニート」を問題とし炙り出すまなざしがどこからやってくるか、との問い。著者によれば、その起源は――「社会」ではなく――「世間」であるという。なるほどね。不登校の子どもたちの居場所をやっていたとき、近所に居場所が存在するにもかかわらず、遠くからうちに通ってくる人たちが多かったことを思い出す。彼(女)ら曰く、近所は「世間の目」が気になるので通えないのだとのこと。同じ「世間の目」は、三世代家族が多い山形の田舎にあっては、不登校の子どもたち(それは祖父母により「家の恥」と表象され、たいがいその責任は「嫁」に転嫁される)を近所の目から隠すべく、家の中に閉じ込めておくよう、家族を動機づけるものとしても機能していた。「地域」というキーワードの、居場所との相性の悪さもこの辺に由来するのかもしれない。それって「世間」と地続きだから。