『ザ・ディベート』/『議論のレッスン』/『大学地域論』

ザ・ディベート―自己責任時代の思考・表現技術 (ちくま新書)

ザ・ディベート―自己責任時代の思考・表現技術 (ちくま新書)

議論のレッスン (生活人新書)

議論のレッスン (生活人新書)

大学地域論―大学まちづくりの理論と実践

大学地域論―大学まちづくりの理論と実践

■最近読んだ本。55−57冊目。①『ザ・ディベート』、②『議論のレッスン』、③『大学地域論』。①②は、先週末の「ファシリテーター養成講座」関連で読む。①では、自分たちが普段用いている「ディベート」の用法が誤りであることが分かりますた。②は、私たちが言葉を用いて相互に行う「議論」という社会的行為に関して、その背景や意味をきちんと踏まえた上で、それをより建設的なやりかたで進めるにはどうすればよいのか、非常に理解しやすいかたちでまとめたもの。文句なしの良書。言語化WSの基本図書にしたいくらいだ。③は、東北公益文科大学における「大学まちづくり」の、これまでの5年間にわたる実践をまとめたもの。大学人たちの「地域」の発見の記録。「大学(知)にとって地域の効用とは何か」については饒舌だが、「地域にとっての大学(知)の効用とは何か」についてはさりげなく思考を回避。大学(知)が「地域」に対して有するさまざまな機能――お墨付きを与えるとか、批判的にツッこむとか――のうち、「地域」が大学(知)に期待しているのは、前者の権威付与だけなのではないか、そしてそういう思惑に「大学まちづくり」というのは――半ば意識的な共犯関係として――まんまと乗せられてしまっているのではないか。そんなふうにも感じられる。言い換えると、「公設民営大学」における「大学/学問の自治」とは何か、という問題。それとも関連するが、そもそも本書は、スポンサー向けの事業報告書なのか、一般向けの読み物なのか、それとも専門家向けの論文集なのか、よく分からないつくりをしている。その曖昧さを、理論的にちゃんと煮詰めなかったところが本書の甘さだと思う。「公益」というきれいごとを「きれいごと」としてベタに描くのか、きれいごとの裏の「現実」を描くのか、あるいはきれいごとが「きれいごと」として機能するための「条件」を描くのか、いろんなプログラムや語り口が「公益学」には可能だと思うのだが、残念ながら現状では、「公益」をめぐる語りの多様な展開には至っておらず、一枚岩な「公益」の鸚鵡返しばかりが生じているように感じられる。それではあまりにもナイーヴすぎる。