私の中で生まれた何かが

勝訴ストリップ

勝訴ストリップ

■24日(金)。午前中に、予備校高等予備科2コマ。その後、新幹線で東京へ。Wゼミの「東京酒宴」に参加。4年ゼミの学生さん6人とW先生と。学生さんたちに「お誘い」を受けたので、事前予約した宿をキャンセルして彼(女)らに同行。結局2泊とも同じ宿泊場所に泊めていただく。激しく感謝。
■25日(土)。明治学院大学社会学部のHゼミ卒論発表会に参加。Hゼミは、W先生の出身ゼミで、そのH先生が今年で退官されるとのこと。最後のHゼミ卒論発表会ということもあって、4年生の卒論発表に加えて、ゼミOB/OGの発表「卒論Before&After」もプログラムされていた。W先生もまた、ご自身の卒論と現在との関わりについて発表。これが、上京の本来の目的。
Hゼミ4年生の発表は6名。全員なぜか女子で、テーマは「フリーター」「ベアテ・シロタ・ゴードン」「絵本」「中国残留孤児」「外国人子弟不就学」「南方熊楠」。OB/OG発表のテーマは「ヒロシマ」「水俣」「ブーム」「夢野久作」「犯罪加害者家族」「日本社会の流動性」。ライフドキュメント系の研究が多い。
OGのある人が語った「ラベリングやカテゴライズなどで十把一絡げにしてしまうのではなく、一人一人の固有の人生/意味/物語について自分の目や耳や頭、手、足を使って調査し、その現実を他者に伝えていくということ、それが社会学の醍醐味であり、その精神が現在の自分の生きかたや仕事にも活きている」との言葉に、Hゼミ(そしてその流れを汲むWゼミ)が伝えようとしている価値が凝縮されたかたちで表現されていると思った。
その後、記念パーティに出席。お師匠のH先生に対するW先生やその他の卒業生の方々のふるまいを目にして、自分が恩師に対しておろそかにしてきてしまったことがあることに明確に思いいたる。それとともに、なぜそうなってしまったかについても分析。あれこれはかつてのゼミ仲間たちに話してみよう。まだ遅くはないはずだ。
■26日(日)。4年ゼミの学生さんたち(含むヲタ)とアキバへ参与観察に行くことに。午後、合流することにして、午前中は神田の古本街へ。朝食の際に学生さんに見せてもらった地図で、神田古本街の中心を通る大通りの名前が「靖国通り」というのを知り、それをたどった先に「靖国神社」があることに気付く。時間がなくもなかったので、急遽こちらも参与観察することに。お目当てはもちろん「遊就館」。
感想を少しだけ。中身は近代日本の軍事史博物館なのだが、展示品の位置づけ/意味づけのために総動員される物語が「被害者根性」丸出しで、それがとても切ない。偏りがあることそれ自体は問わない。しかし、語り手にとって都合の悪い「事実」は語りの俎上に載せずに忘却の穴に放り込み、仕方なく言及せざるを得ない「事実」に関しても「あのときはやむを得なかったんだ、みんな頑張ったんだ」的にうやむやに処理することで、それなりに整合的な物語が産出されている。仕方なかったんだ史観、言い訳史観。なにがそんなに不安なのだろうか。外は雨が降っていて、人足はまばらだったのだが、入り口付近に大量に駐停車している観光バスの群れがとても印象的だった。偶然だろうが、ほとんどが地方からの長距離観光バスで、それもまた象徴的な光景に思えた。
その後、学生さんたちと合流し、6人でアキバ観光。駅前でメイド喫茶お姉さんたちが呼び込みをしていた。隣を歩いていた親子連れの父が「ほら見てごらん、メイドさんがいるよ」と息子に語りかけているのを耳にしてしまい、強烈な違和感を覚える。観光案内の学生Mくんのガイドで、コスプレやらフィギュアやらの専門店を何件か観察してまわる。結構な雨だったのと、日曜で他人がごった返していたことと、観察対象がアレだったことがおそらく相乗的に作用したのであろう、肝心のメイド喫茶に入る前にツアー参加者全員がぐったりしてしまい、メイド喫茶はやめにすることに。
途中休憩をはさんで体力を回復し、その後はお台場へ。レインボーブリッジ、フジテレビ、夜景などを見てまわる。その後、夜行バスで帰るという学生さんたちと別れ、新幹線で帰宅。貴重な「ゼミ卒業旅行」に同行させてくださり、その上いろいろとお気遣いしてくださった4年ゼミの学生さんたち――Aくん、Mくん、Hさん、Yさん、Rさん、Sさん――にはこころから感謝。本当にありがとうございました。