瞬き はなうた 気の赴くまま

■予備校高等予備科2コマ。居場所スタッフ。家庭教師2件。前日の雪辱戦はとりあえず成功裏に終了。幾つになっても油断は禁物というありきたりな教訓。居場所では、再び書道の練習。NPO研修会で何ゆえに書道の腕前を披露しなくちゃならんのか。本人がいちばん釈然としていないわけだが、10年ぶりに手にした筆の感触や墨の香りがただただ懐かしくて、また再開しようかなあなんて思ったりもする。そもそも何で漏れは、筆を捨てようと思ったんだっけ?

日本のニート・世界のフリーター―欧米の経験に学ぶ (中公新書ラクレ)

日本のニート・世界のフリーター―欧米の経験に学ぶ (中公新書ラクレ)

■読んだ本。13冊目。経済学者のフリーター/ニート論。若年雇用の現状とそれに対する政策の多様なありかたを、主要先進国の事例をもとにした国際比較の観点から論じたものであり、この分野における稀有な語り口。著者によれば、日本の若年雇用の悪化は構造的失業率の上昇――非正規雇用の増加――によるものであり、その背景にあるのは正社員に対する雇用保護規制の存在である。ゆえに、それに対する政策対応とは「パートタイム労働者に対する均等待遇」の確保が有効であるという。そしてそうした政策措置は、90年代のオランダの事例がモデルになるとのこと。
マクロな議論をふまえて改めて思うのは、自分が関わっているようなミクロな実践というのが果たしてどこまで有意味なのかということ。結局のところ「経済政策」とか「労働政策」とか、国家や自治体の「政策」レヴェルでものごとの大枠が決まってしまうんだとすれば、自分らがやっていることなんて瑣末な自己満足に過ぎなくなってしまう。それならそれでまあ仕方ないんだけど、位置づけがわからん状態でやっていたくはないわけで。草の根の実践に、果たしていかなる「効用」があるのか。最近の自分が、社会学系統の言説のみならず、経済学系統の言説に惹かれる理由は、おそらくそうした関心に由来しているように思う。