君は九月の朝に吹き荒れた通り雨

■久しぶりに会ったその人の言葉は、かつてない重さと強度としたたかさとをまとっていたわけで。その変貌ぶりにただただ驚愕。かような変貌のための環境を、自分は果たして自分の周囲に構築できているのだろうか。答えは明白に「否」。何かを始めようとすればたちまちに内ゲバを招きよせ、そのうちにやる気もなくし、それまでに積み上げたなけなしの財産を食い潰す。そんなことばかり繰り返してきたように思う。書いていて改めて凹む。結局のところ、寛容さが足りないのだ。他人のやりかたが許せないのは、自己顕示欲のゆえ――何と香ばしい!――だろうと思う。過剰な自己顕示欲は、承認欲求と表裏なわけで、それはまた当該領域における自信の欠如に由来するものと考えられる。てことはやはり当該領域における試行錯誤を経由した自己信頼を獲得しなくてはいかんのだろうな。それと同時に、ポストプレイの作法を徹底して体得していかなくては。そんなことを考える。
■普段あまり「ムカつく」とか「イラつく」とかいう感情を経験することがないのだが、「あること」が原因で、久しぶりにそういう想いが脳内に充満。とはいえ時間は有限。下らない事柄に時間や意識や労力を割かれるような非効率は御免被りたいので――ここに脊髄反射的にゲロ(吐瀉物)をぶちまける以外には――やり過ごすことにする。長期的な視座で考えたときに、自分にとってストレスフルな要因が特定できているとして、ならばその癌を自分をとりまく環境世界から可能な限り除去するか、あるいは共棲するにしても可能な限り距離をおいて無害化するかしかないわけだが、今回のそれはそういった類の操作が可能であるのかどうなのか。その「あること」に関連するアレやソレなどに頼らずともやっていけますよ、と強がりなんかじゃなく言えるのかどうか。そんなことをも考える。