『阿部和重対談集』

阿部和重対談集

阿部和重対談集

東根市神町出身の芥川賞作家である著者の、初めての対談集。97年の『インディヴィジュアル・プロジェクション』発表から、虚構の街「神町」を描いた大作『シンセミア』を経て、2005年上期の芥川賞受賞作『グランド・フィナーレ』に至るまでの、著者の歩みが一望できる。対談相手は、保坂和志高橋源一郎東浩紀角田光代など。同郷出身の批評家・加藤典洋の名前も見える。
各対談の初出は、文芸誌上に掲載されたものが主。ということは、新作のプロモーションとして語り下ろされたものでもあるわけだ。だからこそ、阿部は、これからその作品を読むであろう読者の存在に配慮して、あるいは読者の自由な読みの可能性を閉ざさないようにと、自らの作品解釈を最小限にとどめようとするわけだが、しかしそううまくはいかない。気がつけば対談相手にのせられ、極めて饒舌に、自作の解釈学を披露してしまう。だが、幾重にも考え抜かれ、批評性が織り込まれた彼の解釈論は、読みの可能性を縮減するどころか、ついつい凡庸で陳腐な読みに陥ってしまいがちな私たちに、多様な解釈へのヒントをむしろ与えてくれさえするものだ。二重のズレの結果、非常に貴重な批評作品となっているのだ。ここに、この対談集の面白さがあると思う。
しかも、この意図せざるズレこそ、まさに私たちが阿部作品のなかで頻繁に目にする登場人物たちの振る舞いそのもの。そう、奇妙なことにこの『対談集』、まるで作家「阿部和重」自身を主人公とした「阿部作品」といった感じなのである。阿部作品の登場人物の多くは、自らの置かれた現実の陳腐さ/空虚さ/凡庸さを埋め合わせるかのごとく過剰な饒舌を呈するが、当然埋め合わせなど効かずに暴発的に行為に及ぶ。だがその行為=カタストロフも不発、と何もかもが意味をズラされる。本書の登場人物である「阿部和重」もまた、まさにそんな感じで上滑り気味の饒舌の果てに自爆する(角田光代とのパートを見よ!)。まさに本領発揮だ。
そんな著者が、次なる仕事として語るのが、『シンセミア』に続く「神町サーガ」三部作中の第二弾である。実在する虚構の街「神町」をネタに、今度はいかなる関係性が描かれることになるのか。神町の住人の1人として、今後も阿部の構築する「神町」の行方からは目が離せそうにないのである。