「非当事者」の「当事者」志向運動

「正統性の不在」状況下で、いかに「正統性」を確保するか。学校や行政とは異なる角度で、しかも親の会という既存の不登校支援ニーズの窓口からも切断されてしまった状態で、いかにして未知の不登校ニーズとつながっていくのか。そのつながり確保のために、学校/行政/医療などの「専門家の語り」や親の会/不登校当事者グループのような「利害の語り」とは異なる、いったいどのような説得力を、その活動/運動にもたせることができるのか。当時、居場所づくり活動/運動の中心であった滝口さんが直面したのは、そういう課題なのだった。
とはいえ、「既存の専門家とも当事者(不登校の親・子)とも異なる語り口の創出」というこの課題とそれへの自覚的な取り組みには、長い準備期間が必要だった。当時滝口さんが主宰していた居場所「フリースペースSORA」は、創立以来、月1回のペースで会報『SORA模様』を発行しているのだが――これが団体の統制下にある唯一のメディアである――その誌面上に「居場所とは何か」を巡る自覚的な言説群が登場するのは、2002年5月以降である。つまり、活動/運動がスタートした2001年4月からその時までのほぼ1年間は、「居場所とは何か」言説そのものが不在だったのである。
この不在は、そのまま「正統性」確保への努力の不在を意味しているわけではない。上述の会報『SORA模様』の誌面を分析すると、そこには、二つの点で「居場所づくり」の活動/運動に「正統性」を付与していこうという意識的な取り組みの痕跡が見られる。その取り組みとは何か。第一にそれは、既存の親の会とは異なる、「居場所」独自の親の会(居場所に通う子どもたちの保護者+居場所を核につながりあう親の会)の組織化への努力であり、第二にそれは、「居場所」を介してつながった不登校当事者の子どもたちの言説編成の取り組みである。
これらはともに、不在の「正統性」を、より「正統性」に近接した他者――「居場所」を介してつながった不登校の親と子――の存在や言説で埋め合わせ、それによって「居場所」独自の「正統性」を確保しようというものである。だが、そうした試みはなかなか実を結ばない。そうした他者たちが、必ずしも活動/運動の側にイニシアチヴを認め、その統制を受け容れるわけではないからである(そういう存在をこそ「他者」と呼ぶわけだから、当たり前だが)。そうしたなか、滝口さんは、「正統性」に近接した他者による「正統性」補完とはまた別の、新たな語りを模索していくことになる。
そのきっかけになったのは、会報『SORA模様』とは別のメディア上での発言機会だった。例えば、次のような記述を当時の彼は残している。

私にとっては毎日が地獄のよう。生徒指導部だった私は、頭髪指導や服装指導や遅刻指導など、とにかく学校側が一方的に決定した型に生徒達を無理やり押し込め、逃げたら捕まえてきてまた押し込める、みたいなことを繰り返していました。生徒達の意見など聴こうものなら自分が他の教師から「指導」を受けてしまうので、必死になって自分を殺しました……(中略)……先生方は生徒を自分達と同じ「一人の人間」として対等に見てはくれませんでした。あくまで「子供=不完全で未成熟=指導の対象」ということなのでしょう。生徒を「子供」と見なし上下関係の中で付き合うのが学校空間の作法だとするなら、私には自分を殺さずして教員を続けることは不可能でした。とはいえ、それは自分の中で「逃げ」のような気がしていました。自分が現場で感じた違和を何処かで誰かに繋げていかなければ。そんな想いが頭から離れず、私は学校外の成育の場、それも子ども達と対等に付き合えるような場を探すことにしました。*1

「確かに自分は、「生徒」として不登校=学校からの抑圧を経験したことはありませんが、しかし、講師時代に「教師」として学校からの抑圧を経験していた「不登校教師の予備軍」でしたよ(だから不登校被害当事者に近いでしょ?)」という語りが、そこでは展開されている。これを「教師としての不登校」物語と呼んでおこう。ここで模索されているのは、それまでのような「正統性」ある他者の存在や言説をいかに自分たちの活動/運動の側に確保するか、すなわち「正統性」の外部帰属という方法なのではなく、自ら(の来歴)のうちにいかに活動/運動に利用可能な「正統性」を発見し構築していくか、すなわち「正統性」の内部帰属という方法である。同じ方法論の枠内で、次のような語りも模索されている。

日々の活動のなかで改めて感じていることがあります。それは、フリースペース(=役割期待から解放され自由に過ごすことができる居場所)は、なにも子どもたちだけに限らず、大人たちにとっても必要なのだということ。そこには貴重な「癒し」があると思われるためです。では、いかなる点でフリースペースは「癒し」なのでしょうか……(中略)……フリースペースでは、先述の通り過ごし方は全くの自由です。何もしないことや怠惰も「ひとつの在り方」として認められ受けいれられています。学校では認めてもらえなかった自分をフリースペースではありのまま受容してくれた、という体験。これは不登校の子どもたちのフリースペース体験と全く同質のものです。疲弊しきっていた私が、新しい価値の創造に向けた運動に動き出すことができたのは、このような「癒し」があったためだと思います。もうひとつ指摘しておきたいのは、フリースペース開設運動をゼロからスタートさせることができたということ。もしそれが既成のシステムであったなら、自分のような経験もない若い世代の人間に発言し参画する余地が残されていたかは相当に疑問だからです。その種の無力感や幻滅を、若い世代は随所で味わっているように思います。未熟ではあれ自分たちがイニシアチヴをとって試行錯誤を繰り返すなか、少しずつ自分たちの活動に自信を得ていく。これもフリースペースの子どもたちが体験するプロセスと全く同じです。そこには若い世代に固有の「癒し」があるのだと思います。*2

こちらは、「不登校」という被害体験に照準するのではなく、そこからの「回復」過程に照準する語りである。すなわち、「確かに自分は不登校の苦悩を体験したことはありませんが、その子どもたちが「居場所」で経験する「回復」と同じ過程を自分も経験していますよ(だから不登校回復当事者に近いでしょ?)」という語りであり、こちらは「居場所の癒し」物語と呼んでおく。注意すべきは、「教師としての不登校」物語にせよ、「居場所の癒し」物語にせよ、どちらも居場所づくりの正規メディアである『SORA模様』ではストレートに展開されず、それ以外のメディア――地域の福祉情報誌や市民からの投稿雑誌――でこっそりと語られていることだ。正規メディアとそれ以外のメディアとで発信されるメッセージの内容が異なるという、無意識のダブルスタンダードが、この時機の滝口さんの言説=政治の特徴であったと言えるだろう。これが、2002年6月になると、正規メディアにおける「居場所とは何か」言説編成という新たな段階へと展開していくことになる。