「型」の効用

「動機づけの枯渇」なんつって、ずいぶんぐるぐる同じような場所を回遊していたなあとふと思う。今日は、本当に久しぶりに仕事をした。ルーチンワークではない、歯車の部品ではない、現在の自分にしかできない、自分に固有の仕事。なーんて、そんなの所詮幻想なんだろうけど、まあとにかく久しぶりだそんな実感を得たのは。明後日が締切の、助成金申請の資料作成。残念ながら、これを肩代わりしてくれる存在はまだうちの団体にはいないので、責任重大。面倒くせーなとか思いながらも、向き合わざるを得ない。すると、はじめはとてもだるいその作業も、いつのまにか集中してそれに没頭してしまっている自分がいる。楽しんでしまっている自分がいる。「型」の効用。「仕事をしている自分」という「型」に自分を投入しているうちに、その「型」に自分の意識そのものが馴染んできて、それに応じて「欲望」や「動機」までもが遡及的に生成されてくる。とはいえこれも、自らの身体を「型」に嵌め込み続けるというややハイテンションで意識的な選択をやめたとたんに、またぐにゃりとすべてが萎えてしまう、そんな程度のものでしかないのだろうけど。ま、とりあえず財政方面に関する動機が回復してきたので、なけなしの動機がまた消え去ってしまわないうちに、やれることはやっておこう。