『東京シューレ物語』/『フリースクールとはなにか』

奥地圭子東京シューレ物語』を読了。日本における居場所の草分けである「東京シューレ」代表・奥地圭子による「東京シューレ」の自伝的物語。開設の1985年6月から、5年目の1990年12月までの居場所づくりの歴史=物語である。

10年後の著作『フリースクールとは何か』において、自らの運動を基準に「フリースクール」の定義を行うことで、そしてまた自らの運動を主軸に「フリースクールの正史」を描写することで、その定義権の特権的保有=行使を正統化することになる奥地だが、90年のこの段階では、まだ自らの運動を堂々と「フリースクール」と名指すには至っていない。控えめに「東京シューレフリースクールかどうかは別として、日本の新しい、自由な教育は、登校拒否を排除して現実性をもつものではありません」と記すにとどまっている。つまり、東京シューレはある時点から、自らを「フリースクール」と名指す言説を意図的に行使し、そうした用法を自明化することで、多様な勢力がひしめく「教育」をめぐる言説空間に一定の位置を占めることに成功する。「フリースクール」という語りそのものが、東京シューレにある種の権威や正当性の記号をまとわせるための言語戦略なわけである。
「地方の居場所づくり」という立ち位置から見たときに、東京シューレにはある種の華々しさ、敷居の高さ、あるいはそれへの志向みたいなものを感知せざるを得ないのだが、もしそういう何かがシューレの側に存在するのだとすれば、それは上記のように「フリースクール」という意匠をまとうことを(シューレが)選択したがゆえの、副産物みたいなものなんじゃないかと思う。そしてそういう「自由、自治、個の尊重」の居場所=「フリースクール」という、敷居の相当に高いモデルがイメージとして流通してしまったがために、「地方の居場所」は――少なくとも、わたしたち自身と、わたしたちの知る幾つかの居場所は――その(東京シューレ発の)理想像と自らの現状認識との間の凄まじい分裂に悩まされ、そのズレの解消という問題に自らの思考を呪縛されがちになるという事態に陥ってしまっているのではないか、と思う。そしてさらに言うなら、それがわたしたち「地方の居場所」スタッフをじわじわと消耗させていく言説の檻として密かに機能し続けているのではないか。