『仕事をしなければ、自分は見つからない。』

読了本。三浦展 『仕事をしなければ、自分は見つからない。――フリーター世代の生きる道』。

マーケターである著者――『マイホームレス・チャイルド』(必読)の著者でもある――による若者論。対象は「真性団塊ジュニア」と著者が呼ぶ現在の20代の人たち。著者が言わんとしているのは、「仕事」や「働く」という社会的な=他者から必要とされているという立ち位置のなかでしか、人は大人になれないのだから、つべこべ言わずにそういうポジションに自分を置きたまえ、若者よ。消費だけじゃ大人にはなれんよ、だからフリーターじゃいかんよ、ということ。言いたいことはまあわからんでもない。「自分」なんて、「探す」もんじゃなくて「創る」――または「創られていく」――もんだし、そのためには他者(社会)との継続的な関わりのなかでの試行錯誤が不可欠。だからこそ著者は、その「仕事」のうちに、会社員のみならず、「専業主婦」や「NPO」「ボランティア」といった立ち位置をも含意する。でもね、だったらなぜそのなかに「フリーター」は入れちゃいけないわけ? フリーターだって「社会が必要としている」ポジションじゃないのか? 使い捨てのコンビニエンスな廉価労働力として、そしてまた失業率上昇の抑制要因として、十分に社会の役に立ってるじゃないのさ。え、「使い捨ての取替可能な労働じゃ大人になる根本的な契機にはならない」だって? だったら、そういう類の労働しか若年に配分しない選択肢構造をこそ問題化しろよ。そういう類の労働にしかありつけないような「人材」へと若年を「低開発」し続ける教育システムをこそ問題視しろよ。とか言いたい。フリーターなしでは回らないシステムというものが確固として存在する――そしてそれにあなたもフリーライドしている――わけでしょ。その上でなお「フリーターはダメ」と言いたいのであれば、せめて「フリーターなしで回る社会」のありようを(単なる空想ではなく)ひとつの社会構想として提示してもらわないと困る。じゃないと議論にならん、と思う。