読書会ノススメ
最近、「読書会」というものにはまっている。「読書会」とは何か、ご存知だろうか。さまざまなやりかたや形式はあると思うが、大雑把にまとめるとそれは、共通の文献(テクスト)を複数の参加者でともに読み合わせしていく、というものである。大学のゼミを思い浮かべてもらえればよい(というか、そこ以外にこの形式が本格的に採用されている場を自分は知らない)。
読書というと、机に向かって一人で黙々と書物の頁をめくる孤独な行為だというような通念が、私たちの社会には存在する。そこから、単独の行為なのに「会」とはどういうことかと疑問に感じた方もおられるかもしれない。
だが、一般的なイメージとは裏腹に、読書とは元来は複数の人間たちによる共同の営みであった。そもそも印刷技術や複製技術が未発達の時代には、書物(その中心は宗教的なテクスト)はそれ自体が価値ある宝物のような位置づけであったし、共同体がその知的価値を効率的に享受しようとするなら、読書とは当然、音読中心で、共同で営まれるものになるしかない。いわゆる「声の文化」の圏内に、当時の読書はあった。
こうした「声の文化」としての読書は、しかし、印刷・複製技術の発達や識字率の向上、脱魔術化や資本主義化といった諸要因が前景化してくるなかで――言いかえると、近代社会や国民国家が生成するなかで――、「文字の文化」の圏内へとゆるやかに滑り落ちていく。読書は、自己の内面に向き合うための、孤独な営みに変わる。近代的読書の誕生。より正確に言うなら、そこでは、「自己の内面に向き合う」ことで、近代的自我により統御される無意識という「自己の内面」が分節される。諸個人に「内面」という万人共通のフォーマットをインストールするための媒介として、読書が機能した。その意味で、近代の読書は、精神分析と機能的に等価である。近代社会における統治のテクノロジー。私たちの読書は、この「文字の文化」としての読書の延長上にある。
だが、改めて考えてみると、「読む」という行為には、そのテクストの作者がそこにこめた意味内容を正確に読解するということだけでなく、「その意味内容」がいったい何を意味しているのか、テクストを文脈(コンテクスト)のなかで位置づけたり解釈したりする過程も含まれる。言いかえると、読書には、作者中心主義的な読みかた――「テクストが何を語っているか」に照準――と読者中心主義的な読みかた――「読者は何を読み取ったか」に照準――の二つの側面がある。前者が「作者の真意」といったものへと収斂しがちだとすると、後者はその逆のベクトルをたどる。収縮と拡散。言うまでもなく、一人の読書は前者の側面に傾きがちだ。そうしたなかで後者に着目することは、近代的読書から遠くはなれた場所に私たちをいざなってくれるだろう。実はそこにこそ、「読書会」のおもしろさはある。
「読書会」で読みあわせをしていて気付くのは、まさにこの読者主体の読みであり、それゆえの読みの多様性だ。同一文献の同一箇所であっても、その意味をどのように捉えどのように解釈するかは、人によってさまざまに異なる。180度ちがう解釈だってありうる。単独の読書では、自分の読みや解釈はあっても、それが他の読みや解釈と比べてどう同じでどう異なるのかが見えない。「読書会」は、こうした解釈の差異とその分布を可視化する。解釈の背景にある、個々の価値観や思想を可視化する。
そうした差異を消去したり、価値・思想を同一化したり、それによって解釈共同体を構築(これを「全体主義」という)したりすることが目的なわけでは決してない。差異は、そしてそれを繁茂させうる環境には、大いなる価値がある。多様であるということ、そしてそのことに寛容であるということは、社会や人の豊かさの指標であり、成熟の基準である。「読書会」は、そうした差異を分節し、可視化し、それに触れた者を同じ過程に巻き込んでいく。巻き込まれた彼(女)もまた、自らの差異=価値を言語化し、可視化し・・・と、あとはその繰り返しだ。差異の現前と感染。そこでは、「差異とそれにたいする寛容」という共通前提が構築されているわけだ。繰り返す。差異は価値である。そしてそれを繁茂させる環境もまた価値である。「読書会」はまさにそこに照準する。端的に言えば、それは、わたしたちが自由であるために欠かせない環境条件である。
現在わたしは、仲間たちとともに、テーマの異なる三つの読書会を立ち上げ、運営している。すなわち、①「資本論」読書会(長井市・川西町)、②「教育と社会」読書会(山形市)、③「戦後と政治」読書会(山形市)である。
①「資本論」読書会では、K.マルクス『資本論』(岩波文庫/筑摩書房その他)の邦訳版を読んでいる。資本主義分析という観点から読んでいる者もいれば、歴史学的関心で読んでいる者もいる。その目的はさまざまだ。
- 作者: カールマルクス,Karl Marx,今村仁司,鈴木直,三島憲一
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階層化日本と教育危機―不平等再生産から意欲格差社会(インセンティブ・ディバイド)へ
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はじめに、「読書会」の形式を大学以外の場で見たことがない、と書いた。この有意義な知の装置を、わたしたちもまた手にしようではないか。それは、わたしたちがオリジナルな価値や自前の言葉を手に入れるための、不可欠な装置なのだから。*1
*1:『月刊・ほんきこ。』NO.20(2005年4・5月号)に加筆修正。