2ちゃんデビュー?

知らんうちに2ちゃんねるでネタにされていたようす。面白かったのでUPしてみる。いちばんのお気に入りは、187氏のコメント。まずは「お友達」からよろしくおながいします。

132 :名無しさん@社会人:2005/06/10(金) 12:35:05
山形県フリースクール主催者の見解。
深い見識に感動しました。
http://d.hatena.ne.jp/takiguchika/200505
深く味わって読んでください。

深く味わってみますた。とはいえ、スレの流れに対し、なぜそのエントリを引用したのかが謎。

133 :名無しさん@社会人:2005/06/10(金) 13:00:32
>>132
まるでなんだか佐藤学のいう学びの共同体みたいだなぁ。

佐藤学は読む気がしません。

135 :名無しさん@社会人:2005/06/10(金) 18:37:53
>>132
この人はいいことを言っている。まずじっくり読んでみよう。

じっくり読んでみますた。だまされてませんか?

136 :名無しさん@社会人:2005/06/10(金) 19:21:15
>>132はちょっと偏っていますねえ。
貴戸氏の本という眼鏡だけを通してもう一方を理解してしまっているように思います。
東京シューレの言説なるものを無批判に内面化してしまっている自分
などとありますけれども、この方自身がその言説を誠に理解されているのかどうか
私から言わせますと疑問を感じますし、その点を今一度省みてはどうかと思います。
そのことはそのまま貴戸氏の解釈図式に対しても言えることで、少なくとも私が理解して
きた東京シューレ像とはちがった物語がそこで作られてしまっている点を多々感じる。
もちろん、どちらの像(物語)が真だと決め付けるつもりはないのですが、少なくともその点 に大きな違和を感じることは事実で、そのイメージから批判が一方的に展開されてしまって いるように思われるところは逆説的であり、皮肉にすら感じられます。

ちょっとどころか、むしろ激しく偏っております。わたしの関心は、「東京シューレの言説がどうであるか」ではなく、「東京シューレの言説がどうであると地方では受け止められているか」、とりわけ「かつての自分自身においてどうだったのか」というものなので、いったいどれが偏りのない東京シューレ像かってあたりには興味がないし、ましてやあなたの東京シューレ像にはもっと(以下略)。

138 :名無しさん@社会人:2005/06/10(金) 19:58:46
>>132
その人の批評もまた自己反省を装いつつ結局のところ他者批判に終始してしまっているだけだったりするのが・・・説得力に欠ける。
本当にそこまで問うつもりなら、みずからのその批評の依って立つ位置をも省みる必要があるのではないかな?

がんがります。

149 :名無しさん@社会人:2005/06/12(日) 09:41:32
>>132
>東京シューレは、「不登校者の語り」をほぼ独占的に定義・収集・編集
>・解釈・発信し続けてきたわけだが、
この言い方には悪意のようなものすら感じるなあ。独占的って言葉をわざと使うところ。
それができる機会をまるで東京シューレが他の人びとから奪っていたかのようにいう・・・
妬みでも感じているかのような物言いだねえ。
シューレがお国や行政の庇護を受けていたわけでもあるまいし。むしろ・・・

「独占的」だといったのは、地方にまで届くようなメディア(主に書籍)をうまく駆使できているのが、もっぱら東京シューレくらいじゃないかという意味において。5年前、地方都市の山形で、前例のない居場所づくりを開始したとき、まともに参照できたのは東京シューレ発の情報くらいだったので(他になかったといいたいのではない。体系的に言説を展開しているのが、東京シューレくらいしか見当たらなかったのである)。ちなみに、「お国や行政の庇護」を受けていない支援団体が、その対象者から何かを奪わないなどとは言い切れない。どんな活動であれ、抑圧的になる側面なんて幾らでもありうる(別に東京シューレが特にそうだとかいいたいわけではないよ念のため)。だからこそ、常に自己/他者によるチェックを働かせておく必要がある。いろんな苦い思い出とともに、自戒を込めてそう思う。

150 :名無しさん@社会人:2005/06/12(日) 11:06:45
>>149
そう、事態は逆。
実際、いろいろな同人誌・ミニコミ・自主出版・HPなどによって、各個人や団体が不登校について語っている。
それが現実。みえすいた隠蔽に惑わされてはダメ。

同人誌とかミニコミとか自主出版とかHPとか、そういうのは「地方」では権威(=他者を動機づけうるもの)として機能しにくい。一般の流通ルートにのった「書籍」という形式で読むことができるという点こそが重要。それができていた(ように地方在住者たるわたしの目にうつる)のは、東京シューレのみ。だからこその「独占」。だからこその「呪縛」。

154 :名無しさん@社会人:2005/06/12(日) 11:52:29
>>149
キド本もその種の妬みに満ちた解釈で成り立っているようなもんだしな。

ひとの書く文章なんて、しょせんその動機は「妬み」とか「怨念」とか、そういうところにあるんじゃないのかしら。とか思う。

187 :名無しさん@社会人:2005/06/15(水) 03:37:37
>>132
一生懸命レシピを作って、ブログにUPしたのはいいけれど。
失礼だが東京の文化人にコンプレックス気味の田舎の優等生の悲劇を感じる。
自分も田舎出身者なので、そこで都会的な文化(受験スキルからサブカル、音楽やファッションなどの趣味にいたるまで)を自信をもって行うたいへんさは理解しているつもりだ。それゆえに身近な人間が手ごたえある話し相手にならず疎遠となり、「信頼できる趣味の合う友達は東京発の情報だけ」状態になりがちだということも。
だけど、ちょっと貴戸の立場・主張にいいように引きずられて杉というか。
この人独自の視点が見えてこない。地方で不登校支援をやっていると奥地さんの言うことが特殊東京的、特殊シュ−レ的になっているのが明確に分かる、というのは本当だと思う。
けれど、内藤の影響(?)も含めて、もう少しシュ−レや親の会のこれまでの活動や言論を見直したほうがいいのでは? と思えてくる。貴戸さんは極端に単純化している。またシュ−レはシュ−レで高度に政治的な判断のなかで見解を出した。そこには、表面的な言葉だけでは伝わらない作戦や思惑があるはずだ。あの見解は何も貴戸や支援関係者だけにあてられたものではない。文科、不登校本人、親、専門家、人文系の調査の人間……すべての立場のものに、「妙なことをすると黙っちゃいないZO」と警告を送ったのだ。
ひょっとしてこの人は教育や学問への中立幻想が強いのか? と一瞬疑ったYO!

「レシピ」じゃなくて「レジュメ」だと思います。たぶん。「東京の文化人にコンプレックス」の件はその通り。だからこそ、田舎で何かやろうとすればするほど、中央の情報に「呪縛」されるという構造が生成する。東京シューレの「フリースクール言説」はまさにそうした「言説の檻」として機能してしまっていたんじゃないか、というのがわたしの問題意識。つーか、地方の居場所が共通して直面する問題ではないかとも。この「呪縛」のようなものに気づかせてくれたという点で、貴戸本は(地方の活動者としての)わたしにとっては価値があったと考えている。とにかく問題は、東京シューレや親の会が「実際どうであるのか」ではなく、「どうであると自己アピールしていたのか」、そしてそれを受けて「どうであると地方で受け止められてしまっているのか」にある。「政治的判断」云々に関しては、激しく同意。居場所の日常実践なんて「政治」の連続だ。でもね、だったらなおさら、その「政治」をこそ、先輩である東京シューレには開陳してほしかった。言語化してほしかった。東京シューレの「自己物語」をつらつら読んでいていちばん違和感なのは、それがあまりに「きれいで/正しく/わかりやすい」語りだということ。そういう語りをこそ選択したのもまた「政治」だってことは承知の上で、それでもあえてわがままを言うとすれば、居場所の偏在化にとっては、「政治」をめぐるノウハウやテクニックをベタに(=親切に)記述するような言説の回路をもどこかで用意していてくれていれば――少なくとも東京シューレの内部には、朝倉景樹氏という「社会学」的語彙の語り手がいるのだから、決して不可能ではなかったはずだ――その手の言説資源が存在していれば、少なくとも自分が居場所を軌道に乗せる際にもうちょっと楽できたのにな。活動の途上、試行錯誤の中で生成した死体の数がもう少し少なくてすんだのにな。とかそんなこと。まあ、そういう諸々に鍛えられて今の自分たちがあるわけだし、今回のあれこれも大御所の「政治」をつぶさに観察し学習するよき機会だったことを考えるなら、別にそれ以上望むこともないかなと。最後に、「学問への中立幻想が強い」については、まさにその通りだと思う。そこにスキができるわけだ。気をつけなくちゃ。