杉原志啓 『おもしろい歴史物語を読もう』

福沢諭吉中江兆民など近代日本の思想家たちを扱った思想史家・坂本多加雄(一九五〇―二〇〇二年)。本書は、その坂本に師事した著者が、師にまつわるエピソードとともに、近代日本に書かれた史書一〇篇を紹介した歴史物語ガイドブックである。著者は酒田市出身の思想史家・音楽評論家。地元酒田の大学でも教鞭をとる。

坂本と言えば、マルクス主義失墜後の「大きな物語」なきアノミー状況(歴史学ポストモダン)を積極的に引き受け、実証史学に対抗して「物語としての歴史」を提唱、最終的には「新しい歴史教科書をつくる会」に行き着いたことで有名。その弟子である著者のスタンスもまた、師にならい、国家の来歴としての歴史=物語の再生産こそが重要であるというものだ。

そうした問題意識の下で本書は、明治の言論人と、彼らによる日本人の歴史=物語とを次々に紹介していく。例えば、北村透谷との「文学渉相論争」で有名な思想家・山路愛山の英雄物語『豊臣秀吉』や近代日本を代表するジャーナリスト・徳富蘇峰の大著『近世日本国民史』、あるいは著者がそうした「民間史家」の系譜における戦後版継承者とみなす松本清張司馬遼太郎など。中には、忘れられた民間史家・白柳秀湖『定本民族日本歴史』等の紹介もあり、とても勉強になる。

坂本=著者が言うように、歴史に物語としての側面があることに疑いはない。しかし彼らはそこから「どうせなら誇りをもてる物語を」と飛躍する。だが問題は、それが一体誰に誇りを与え、誰から尊厳を奪うかという点にある。坂本=著者は後者に無頓着だ。

とはいえ、本書が明らかにした近代日本の民間史家たちの言説空間は、列島各地の人びとが歴史=物語の回路によりどのように去勢され、「日本人」へと同化させられたかの標本箱そのものでもある。グローバル化の波が何度目かの去勢をもたらそうとしている現在、私たちは本書からかつての同化の手口を知る必要がある。たとえそれが著者の意図とは異なろうとも。*1

*1:山形新聞』2009年5月3日 掲載