『「玉砕」の軍隊、「生還」の軍隊』

“玉砕”の軍隊、“生還”の軍隊―日米兵士が見た太平洋戦争 (講談社選書メチエ)

“玉砕”の軍隊、“生還”の軍隊―日米兵士が見た太平洋戦争 (講談社選書メチエ)

■読了文献。168冊目。河野仁『「玉砕」の軍隊、「生還」の軍隊:日米兵士が見た太平洋戦争』。「玉砕」と「特攻」は、日本軍と戦う米軍兵士の目に、もっとも理解不能な行為、言わば「自殺行為」も同然に映ったという。「自殺」を宗教的な「罪」と捉え「降伏して捕虜になることは戦死につぐ名誉」と考える米兵と、「捕虜となることは不名誉」であり「自決」を「名誉ある死」と考える「無降伏主義」の日本兵。異なる文化圏に属する日米両国の青年たちが死闘を繰り広げた太平洋戦線において、彼らは、対峙する相手を、それぞれどう見ていたのか。そしてその認識を、戦闘を重ねる過程でどう変容させていったのか。本書は、社会学者である著者が、92〜94年にかけて、ガダルカナル戦を戦った日米両国の元兵士たちを訪ね歩き、そこで収集した膨大な量の「戦争体験のライフヒストリー」をもとに、上記の問いに慎重に取り組んだ「戦闘の歴史社会学」である。そもそも兵士たちは、もとから「兵士」であったわけではない。「国民」または「市民」としての青年は、それぞれの社会に固有の「動員システム」の流儀に従って「兵士」へと社会的に作り上げられ、戦場に送られる。本書は、日米両社会の「動員システム」の差異から議論を出発させる。見えてくるのは、「軍事的合理性の追求」の果てに教育をも統制下においたもっとも軍国主義的な「動員社会ニッポン」と、「民兵制」を元型とし軍隊といえども「自由」「平等」などの市民的価値が尊重される「志願社会アメリカ」という対照的な二つの社会の姿である。こうした歴史的/社会的文脈を背景に、本書は、兵士たちが体験した「戦闘」という社会的行為とそれがもつ意味を丁寧に整理し、データに即してぶ厚く記述していく。そこにあるのは、兵士たちの意味の世界に分け入り、それを内側から理解するための、兵営の民族誌だ。戦場体験を持たない私たちが「戦闘とは何であるか」を理解するための有効な概念枠組を、本書は示してくれるだろう。