赤坂憲雄・玉野井麻利子・三砂ちづる 『歴史と記憶』

歴史と記憶 場所・身体・時間

歴史と記憶 場所・身体・時間

本書は、扱う領域や対象は完全に異なっているものの「聞き書き」を主な手法とする点では共通する三人の研究者、赤坂憲雄東北芸術工科大学民俗学)、玉野井麻利子(カリフォルニア大学・人類学)、三砂ちづる津田塾大学・疫学)による「歴史と記憶」をテーマにした対話の記録である。
「歴史と記憶」と言えば、一九九〇年代の歴史学会を席巻した問題系である。戦後五〇年という節目にあたっていた当時は、埋もれたままで語られずにきたさまざまな「戦争の記憶」たち――例えば「従軍慰安婦」問題――があちこちで声を上げ始めた時期。他方で、それらを否認する右派の「忘却の政治」が開始された時期でもある。
このため歴史学においては、記憶の問題系は、専ら「戦争の記憶」を中心に展開されてきた。しかも議論の大半は、当時流行のホブズボーム「伝統の創造」論やアンダーソン「想像の共同体」論を援用して「近代国民国家の虚構性」を暴露する試みに終始した。
あれから一〇余年。振り返ってみるに、記憶という問題系が含みもつ豊かさを、歴史学は開花させ損ねたのではないか。人々の生にまつわる語りを聞くという営みの意味や意義は、「戦争の記憶」や「国民国家批判」のみに限定されるものではないはずだ。本書の問題意識は、まさにこの点にある。
例えば、民俗学の赤坂は、九〇年代はじめ「東北学」の試みのなかで遭遇した「ムラの終焉」に「記憶の時代」の到来を見る。また、人類学の玉野井は、実際に生じた「歴史的事実」と記憶の過程で生じた「主観的事実」とを区別するなど、記憶の多様性に目を凝らす。それに対し、疫学の三砂は、聞き取り調査の経験から、人々の「語り口」こそが経験や記憶の伝承を支えているのだと確信する。
応用方法は三者三様、見事にばらばらだが、このことは「記憶」「語り」「聞き書き」などが含みもつ可能性を暗示するものである。歴史学はもちろん、他の学問分野に対しても、本書は豊かな示唆を与えてくれるだろう。*1

*1:山形新聞』2008年8月31日 掲載