内田樹 『ひとりでは生きられないのも芸のうち』

ひとりでは生きられないのも芸のうち

ひとりでは生きられないのも芸のうち

非婚・少子化、家族解体、若年労働の二極化(過労死か無業化か)、それらの偽解決であるナショナリズムの亢進など、私たちの社会はさまざまな問題を抱えている。一見ばらばらな問題たちの背後に著者が一貫して見出すもの、それが自立イデオロギーだ。
自立イデオロギーとは、自己利益の追求を最優先すべし、という規範である。自己利益の最大化は、人びとが自分以外の利益を追求しているような場において、ひとり利己的にふるまう場合に最もよく達成されうる。ならば、何事も自分ひとりの責任で決定し、成果は自らが独占せよ。もし自分の利益と自分以外の利益がぶつかる場合は、迷わず前者を選択せよ。
確かに、むきだしの競争社会を生き抜くには「自立せよ」は至上命題に違いない。しかし本書はこの「自立」を疑う。そこにあるのは利己主義とただ乗りの果ての孤立でしかないからだ。この「自立」の隘路を避け、本書が提唱するのが「成熟」である。
人は誰しも、自分の存在証明を達成するために他者による承認を必要とする。だからこそ人は自分以外の誰かとともに生きてきた。自己利益を追求したければ、それを可能にしてくれる他者利益を可能にしてやらなければならない。そうした他者が多ければ多いほど存在証明は安定する。この安定性のことを著者は「成熟」と呼ぶ。
これは、社会の成員としての当事者意識とも換言できる。問題が生じたときに、さっさと現場を離れて安全圏から責任者を糾弾するのではなく、現場にとどまり自分の仕事や役割を淡々とこなすこと。残念ながら私たちの社会はそうした「成熟」のロールモデルを失いつつある。本書の核心にあるこの危機意識を、評者もまた共有する。だからこそ、本書を届けたいと思う。
著者は、神戸女学院大学教授(フランス現代思想)。本書のもとになった著者のブログを見ると、菩提寺鶴岡市にあるため、時おり山形を訪れているとある。これも何かの縁だ。ぜひ手にとっていただきたい。*1

*1:山形新聞』2008年3月30日 掲載