山内志朗 『<畳長さ>が大切です』

〈畳長さ〉が大切です (双書 哲学塾)

〈畳長さ〉が大切です (双書 哲学塾)

「畳長さ」とは、従来「冗長さ」と訳され、軽視されてきた概念redundancyに、著者(西川町出身)があてた新訳であり造語である。「畳長」という概念を用いることで、私たちの存在のありようや、私たちが営むコミュニケーション、秩序や生命、文明のありようを見通すための視座を得られるのだという。ではこの「畳長性」は、冗長性とどこがどう異なるのか。
冗長さとは、一般に、冗漫とか余剰とか、無いほうがよいものとされる。例えば、あなたが何らかのメッセージを誰かに伝えたかったとしよう。あなたは無意識に、相手に対して同じ台詞を繰り返したり、身振りを交えたり、同じ内容を口頭のみならずメールや手紙で伝えたりするだろう。笑顔を添えることでメッセージの重さを和らげるといった回りくどささえ、あなたは無意識に達成しているかもしれない。これら全ては無駄なものだろうか。
否、というのが著者の見解だ。メッセージと同時に遂行されているそれらは、余計なノイズではなく、意味の伝達が安定的に行われるための条件や、予想される失敗や誤謬に対処するための自己訂正メカニズムとして機能している。それだけでなく、コミュニケーションを多様で豊穣なものにするより積極的な役割をも、それらは果たしているという。冗長さのこうした意義や効用を析出し、「畳長性」と呼ぼう。これが本書の主張である。
グローバリゼーションという新たな近代の波が押し寄せる現在、効率性や速度の囚人である私たちにとって「畳長性」への着目は一見無駄であり非効率そのものだ。しかし、特定目的や短期視点にとっては非効率だったり役立たずだったりするそれらは、まさにそうした部分への不適応のゆえに、全体や長期視点にとっては重要な働きを担う。無意味なものの意味、非効率なものの効用。遅さの速さ。こうした逆説への敏感さなくしては、今や効率的であろうとすることさえ困難であろう。その意味で本書は、哲学から最も遠い人々にこそ届いてほしい哲学入門だ。*1

*1:山形新聞』2008年1月27日 掲載