いつも笑っていよう

■着地。予想していたよりも「それ」はずっと早く訪れたわけで。おおよそは予測していた通り、届いた通知には「不合格」の文字。さてどうするか。浪人してでも第一志望を受験し続けるか、はたまた志望校を変えて再チャレンジするか。受験そのものをやめて、別の進路を生きることにするか。「どうすべきなのか/どうしたいのか」は、まだよくわからない。結論は、ある程度の時間が経てば見えてくるだろう。しばらくは観察者に徹することにしよう。
■思った以上に「落胆」とか「絶望」とかに見舞われていないのは、「不合格通知」そのものの誤配可能性をどこかで疑っているからなんだろうなと。答案配布後、部分点を獲得するべくしつこく失点の根拠を問いただしてくる予備校の生徒くんたちみたいに、諦めずに「問い合わせ」することが大事なのかもしれない。部分点を獲得した結果「合格」なんてことが万が一にもあるかもしれない。そんなことを妄想するだけの余裕はある。とすれば、今のこの「位置取り」はそうは悪くないかもしれない。なんて事を考えている自分は、事態の深刻さがまだよくわかっていないだけの鈍感能天気野郎なのかもな。
■ともかくも、早い段階できちんと結論を出し、それを言語化してくれたその人にはまたまた感謝。自らの「位置取り」がうまくつかめず、躁と鬱の両極を短期的に往復するような浮遊感覚だけがあったこの数日間――まだそれしか経っていなかったのか!――を終わらせてくれたこと。その優しさだけでも、今はとても嬉しい。いろいろ考えてみるに、結局のところ私たちはお互いを都合よく利用しあっているだけなのかもしれないけれど、その関係性が「取り替えのきかないもの」だと思えるうちは、それはそれで肯定しよう。
■それより何より、西洋史ゼミ合宿にて、恩師に言われた言葉――①キミの周りには今、本気でダメ出ししてくれる人がちゃんといるか? ②数十年後に自分がたどり着きたい場所のイメージを描けているか/描こうとしているか?――がぐさりと突き刺さったままだ。先送りし続けてきた問い。「好きなことを仕事にしてて良いよね」なんて言われるけれど、実は単なるモラトリアムのアリバイだったりする。探さなければ、見つからない。欲しがらなければ、手に入らない。そして欲望は、動かなければ生まれない。動くしかないのだ。