鈴木淳史 『美しい日本の掲示板』

毒舌クラシック批評で知られる著者は寒河江市出身の30代。今回彼が批評対象に選んだのが、一日に数百万ものユーザー・アクセスを誇るインターネット巨大掲示板サイト「2ちゃんねる」。徹底した匿名性ゆえの無責任発言、無意味でせつな的なお祭り騒ぎ、日本語文法完全無視の用語法などから「便所の落書き」に類比される悪名高き掲示板サイトだ。著者はこの「2ちゃんねる」(とそれに代表される日本のインターネット掲示板文化)をメディア史的文脈から読み解いてみせる。
本書によれば「2ちゃんねる」の機能とは、情報の上意下達を担うテレビや新聞などマスコミ(オモテのメディア)の機能不全を補完するウラのメディアであるという点にある。そこにあるのは誰もが情報発信・受信可能な同一平面上でのコミュニケーション。著者はこの対比を、学校の教室の「前の黒板」と「後ろの黒板」に重ね合わせる。先生や学級委員(近代国民国家のエージェント)だけが使える「前の黒板」と誰もが(一般民衆が)落書き可能な「後ろの黒板」。学校を「近代」の換喩と考えれば、「2ちゃんねる」は「前近代」日本のムラ共同体の作法に連続するということになる。
つまり「2ちゃんねる」の醜悪さとは、そのまま私たち自身の伝統の醜さなのだということだ。ならばいっそのこと自らの醜さを積極的に受けいれ、ネタとして享受すること。その身振りにより自己=日本を肯定すること。著者が推奨するのは「2ちゃんねる」的な戯れを通じた日本回帰のススメなのだ。だが、注意が必要だ。そこで回帰される「日本」を、前近代の伝統日本そのものと呼べるのか。それは近代の「創られた伝統」にすぎないのではないか。判断は読者各々に委ねよう。
とはいえ本書は、それ自体ネタ的に消費されがちだった従来の「2ちゃんねる本」というジャンルに、批評的視点を導入したという点(それは同時に批評的ジャンルに「2ちゃんねる」を接続したということでもある)で評価に値する。更なる越境に期待したい。*1

*1:山形新聞』2003年7月13日 掲載