『「東北」再生』

「東北」再生―その土地をはじまりの場所へ

「東北」再生―その土地をはじまりの場所へ

■読了文献。1冊目。赤坂憲雄・山内明美小熊英二『「東北」再生:その土地をはじまりの場所へ』。

 『中国化する日本』

中国化する日本 日中「文明の衝突」一千年史

中国化する日本 日中「文明の衝突」一千年史

■読了文献。2冊目。與那覇潤『中国化する日本:日中「文明の衝突」一千年史』。

 市民教育実践としての「ぷらほ」?

■現在、来月中旬の締め切りに向けて修士論文の執筆に追われている。当初、「ぷらほ」の支援実践を事例としたアクション・リサーチを構想していたが、思うところがあって路線を転換。今年の春から秋にかけてフィールドワークを行った山形北高学校図書館の教育実践「図書館講座」を、市民教育(シティズンシップ教育)の先進事例と位置づけて分析・検討する研究論文を構想している。締め切りまで間がないなか絶賛自転車操業中だが、現在進行形でいろんな発見がある。
■調査・研究、そしてそれを論文にまとめることの醍醐味は、普段さして気にもとめずやりすごしていること、無意識に採用している思考や行為、多少違和感を覚えていても深くは掘り下げずにパスしてしまっていることなどについて、改めて立ち止まり、再考したり反省したりできる点にある。現在、論文執筆過程で自分の視界に入りつつあるさまざまな論点や問いは、もちろん「ぷらほ」の活動の文脈ともつながっているものである。よってその気づきの一端を以下に示そう。
■まずは、先に示した市民教育(シティズンシップ教育)という概念だが、これは行動的な市民性(アクティヴ・シティズンシップ)――目の前に《ゴミ》が落ちているときに、他人やお上任せにするのではなく、自分(たち)で拾おうという志向性のこと。《ゴミ》の箇所には貴方のお気に入りの社会問題を代置してよい――を養成する営みを指す。これについては日本各地の学校でさまざまな実践が始まっているが、その大半は失敗を運命づけられているといってよい。なぜか。
■既存の「シティズンシップ教育」の大半は、学級共同体を舞台に構想されている。私たちにはもはや自明だが、学級共同体には、公共性の契機(多様な価値観に開かれているということ)も当事者性の契機(自分を他者や社会とつながっている存在と認識しているということ)も存在しない。このため、学校にしか足場のない人びとは、公共空間での適切なふるまいかたや社会とのつながりの感覚をうまく育むことができない。そんな場所でシティズンシップが育つわけがない。
■だが、「図書館講座」は違う。それは、学校図書館=公共空間を舞台に、学校司書が仲介役となって、生徒の人びとと(他者や社会に開かれた)活字文化の世界とを媒介する取り組みである。その意味で、筆者はこれを有効な市民教育実践として評価するつもりだが、似たようなことに、実は「ぷらほ」も集中的に取り組んできた。共通項は、多様な価値の世界と若者たちを出会わせる媒介者としての専門性である。ここにもまた、私たちのフロンティアが眠っている。*1

*1:『ぷらっとほーむ通信』105号(2012年1月)

 『変貌する民主主義』

変貌する民主主義 (ちくま新書)

変貌する民主主義 (ちくま新書)

■読了文献。169冊目。 森政稔『変貌する民主主義』。

 『熟議の理由』

熟議の理由―民主主義の政治理論

熟議の理由―民主主義の政治理論

■読了文献。170冊目。田村哲樹『熟議の理由:民主主義の政治理論』。