『〈学級〉の歴史学』/『希望のニート』

読了本。 ①柳治男〈学級〉の歴史学』、②二神能基『希望のニート』。

<学級>の歴史学 (講談社選書メチエ)

<学級>の歴史学 (講談社選書メチエ)

①は「学級」という近代教育の装置に着目。公教育の世界でいち早く展開したチェーン・システムとしての学級制。この事前制御の装置はしかし、「児童中心主義」的な教育言説に粉飾されることで不可視化=自明化されてしまう。近代日本ではそれはさらに、「ムラ共同体」的な文脈に置かれることで、そうした共同体の文脈に飲み込まれるかたちで、「学級」が生活共同体と化す。かくして、それ自体が自己目的化した「学級共同体」という地獄が完成。このようなハードウェアに着目する視点を、「フリースクール」分析にも取り入れる必要あり。「自由、自治、個の尊重」が可能だとすれば、それはいかなる制度的条件のもとにおいてなのか。そこのところを「関係」として記述するのではなく、「制度」として――つまり汎用可能なかたちで――記述する必要があると思う。
希望のニート 現場からのメッセージ

希望のニート 現場からのメッセージ

②は、NPO法人ニュースタート事務局の理事長・二神能基による「ニート対策」の実践レポート。同業者として、うんうんそうだよな、と同意しながら読める。単なる「引き出し屋」――「ニート」を憎悪する効率偏重社会の尖兵――の実践報告というのではなく、「ニート」を前提としたスローな社会構想をこそ、著者は語る。同法人が実施する「若衆宿」、あるいはその延長上で構想されているという「福祉雑居村」構想をめぐる記述は、「ニート支援施設」というよりは、「家族と住まない家」、すなわち血縁を前提としない「選択縁の生活共同体」をこそ連想させる。「児童虐待」言説が実のところ〈家族〉構築にこそ照準するものであったように、「ひきこもり/ニート」言説もまた同種の機能を担っている(【参照】)。そうやって着々と構築されつつある〈家族〉に対する対抗言説、「脱=家族」メッセージこそが、本書の構築なのだと思う。「ニートの専門家」というと、『ニート』の玄田有史になるのだろうが、あちらよりも本書のほうが、わたしにはおもしろかった。